ドリコンGPのもうひとつのROOTS
1989年頃

イベントとしてのドリコンGPには
誰にも言っていないもうひとつの
ルーツがありました……

ドリコンGPの最初のキーワードが
『ワンレン・ボディコン』で、そこから連想した
『ワンレーン・ドリコン!』となり、
サーキットに、峠のドリフト野郎を集めて、
ドリフトコンテストをしよう……ということで、
あったということは、以前にも話しました。

そして、鈴鹿サーキットで、フレディ・スペンサーの
走りを見て、グリップの限界を越えたところに『世界の領域』が
あるということを痛切に感じて、当時グリップ偏重主義だった
日本のレース界からは、F1のフロントローのポジションに、
若いドライバーが着くということは考えられない。

だったら、最初から滑っているイベントを開催して、
そこからドンドンとスピード領域を上げていって、
今の世代では無理かもしれないけれど、
次の世代、ドリフトが常識化している世代から、
『世界の領域』に土足で踏み込んでいくドライバーを
発掘していこう。それがドリコンGPの目標でした。

 

しかしながら、それと同時に、イベントしての側面を考えたときに、


もうひとつのルーツがありました。


藤本は、大阪南部の岸和田というところの出身です。

ご存じの方はご存知だと思いますが、
この街は、『だんじり祭り』というものが、
江戸時代から連綿と続いている街です。

 

総欅製の4t級の『だんじり』というものを、
綱を使って引っ張ります。しかしながら、4輪の車輪は
木製で、それぞれシャフトにセットされているだけで、
操舵性能は持っていません。

つまり、そのままでは曲がれない構造ですね。

でも、4tの木の塊(正確には木の彫刻が全面に組み合わされている)を
ただただまっすぐ引っ張っても、なんの面白さも楽しさもありません。

で、なんとかコイツを曲げようとするわけですが、
物理的に不可能なものを可能にするためには、
人間の知恵と協力体制が必要になってきます。

コーナリング時の動作を、クルマに例えて解説してみましょう。

まず、数百人の人間が、綱を引っ張って、前進力を発揮します。
言ってみれば、エンジンですね。
このエンジンを、大太鼓と小太鼓、笛のリズムによって、
歩き、早足、駆け足、疾走と変化させますから、コイツがアクセルですね。

 

ブレーキに関しては、緊急用に油圧式のドラムブレーキが装備されています。

コーナー手前で、一時停止(以前は停止しなかったので、
死亡事故が頻発しました。最近は、あまり起こりません)し、
そこから全速発進します。空足というものを使って、
足踏みをしてから走り出すと、より速く走り出すことができます。

で、コーナーに侵入するわけですが、ここでクリッピングポイントを
探るのが『前梃子』と呼ばれる役目の人間です。
下の写真に写っている木の棒を持ったヒトがそれです。

つなを引っ張っている人間は、基本的に、道路のセンター付近を
走るわけですが、だんじりがコーナーに入ったときに、
その綱は、急激にIN側に移動します。

その力の移動具合が、だんじりを曲げる力となります。
しかしながら、それだけではだんじりは曲がることができません。

引き綱がIN側に移動したタイミングを見計らって、
『小屋根』(一段低い後方の屋根です)に乗った人間が、
合図をしたら、このタイミングに合わせて、
後ろに設けられているもうひとつの梃子
『後梃子』と呼ばれる棒(といっても3mほどある太い棒です)を
左右の十数人が、アウト側に引っ張る&押すことで、
だんじりの回転運動が始まります。


下の写真が、『後梃子』ですね。

この具合を、最終的に修正するのが、『前梃子』の役目です。
きれいなバランスを保っていれば、『前梃子』はなにもせずとも
だんじりはコーナリングしていくのですが、
IN側に回りすぎたり、あるいは回り方が足りなかったり……。
そういう場合に、前梃子で調整をかけるわけです。

高度な技を持っている『前梃子』なら、アウト側にも梃子を入れて、
さらなる4輪ドリフト状態に持っていくことも、
最近では行われているようです。
ただし、そのタイミングを間違ったり、IN側とOUT側の順番が
違ったりすると、だんじりの転倒の原因になるので、
非常に怖い試みだともいえます。

そして、狭い交差点の場合は、綱の移動によるコーナリングではなく、
だんじりが交差点に入った次の瞬間に、『前梃子』を当てて、
早めのキッカケを作ることになります。

 

 

また、『前梃子』を入れる際には、駒と直角というか、
まっすぐに入れないと、梃子が割れたり、ガチンコに噛んでしまったり
するので、なるべく真っ直ぐ入れるように、だんじりの土台に
寝っ転がるような感じで入れます。

ビビった状態で、アウト側から
入れると、必ず失敗します。

ただし、このような前梃子の入れ方をする場合、人間の体は、
非常に不安定になるので、現在では、土台の先端に「命棒」と
言われる棒を設置していて、それで体の安定を保っていますが、
以前には、そういうものはなかったので、他のものを使っていた
ようです。彫り物を保護するための金網なんかでしょうね……。

と、このあたりは、藤本ではわからなかったので、
藤本の実弟に取材しました(笑)


弟は、町内のだんじりエリート(笑)とも言うべき存在で、
小さな頃からだんじりの周辺を離れず、鐘→小太鼓→大太鼓→
→小屋根→大屋根→前梃子→ブレーキというだんじり人生を
歩んできた人間です。一番上のだんじりの待機写真の
なかで、フロントセンターにいるのが弟です。
このときは、ブレーキ責任者でしたね。
藤本の父親、母親、兄弟、そして息子と娘に至るまで、
全員がだんじり好きという、岸和田ではありがちな一家ですが、
そのなかでも、最もだんじり好きなのは弟でしょう(笑)

うちの街のだんじりは、昭和25年に製造されたものを
現在でも現役で使っています。最近では、新しく新調されることが多く、
岸和田以外でもだんじり祭りを導入する地域が増えていますが、
自分の子供の頃のだんじりが、いまも現役であるということは、
非常に嬉しいというか、誇らしい……あ、そんな話はどうでもいいですね。

とにかく、このように、フロント側とリヤ側の連携がうまくいけば、
曲がるはずのないだんじりが、ウソのようにスムーズに、
コーナリングするわけですが、静止状態で曲がるわけではなく、
常に加速状態を保ちながらコーナリングしていくわけで、
前輪&後輪共に、ドリフト状態でコーナリングを行っています。

もちろん、タイヤではなく、木の輪なので、木を削りながら
滑っていくことになります。ドリフト時にタイヤカスが出るのと
同じことですね。ま、そのために木のタイヤ(駒といいますが)を
長い時間水に漬けておいて、スムーズに削れていくように準備されています。

クリップとライン取りを読み違えてしまうと、だんじりは
思いもよらぬ方向に、向かってしまいます。
なにしろ、数百人が全開で前に進もうとしていますし、
アクセルオフができない状態ですから、
ブレーキを踏んだとしても、とてもではありませんが止まってはくれません。

 

つまり、非常に危険なことを、
真剣にやっているですね。


老いも若きも、男女問わず、この一年に一度の『危険な行為』を、
待ちわび、準備に余念なく、顔を合わせれば、
「どうしたら速く、キレイに曲がれるか?」を、
口角泡を飛ばしながら、議論しているんです

そして、速く曲がったら、どんなにいいことがあるのか?

そうです。満員のギャラリーが、速くてスムーズなコーナリングを
した場合、怒涛のような「オオオ〜〜ッ!」という歓声が、
湧き上がるわけです。その大歓声を背中に聞きながら、
全力疾走で交差点をあとにする……どっかで見たような光景じゃ
ありませんか? そうです。迫力のあるドリフトに送られる歓声、
そいつとまったく同質のものなんですよ、これが。

 

この歓声の気持ちよさを知っているからこそ、
各種の計測装置を使わないモータースポーツ『ドリコンGP』が
可能だと、藤本にはピンッ!ときたわけです。

走るドライバーと見るギャラリーの存在があってこそ
成立するモータースポーツイベントです、ね。

日本には(いや、世界には)、こういうイベントは存在しませんでした。
でも、岸和田には、300年ほど前から、あったんですね。

その歴史のなかでは、数え切れないほどの人間が死亡し、
それ以上の人間が負傷し、いまでは1台を制作するのに、
1億円以上は当たり前というだんじりが、破壊されてきたんですね。

下のビデオは、藤本の町のだんじりが、2004年に電柱に
激突して大破した瞬間と、その後、1500万円ほどかけた
大修理を行なったあとの、通常の走行を収めたものです。

だんじりは、購入費も修繕費も、町の人間が均等割で
負担するものと寄付を合わせたもので賄われています。

ま、言ってみればフェラーリを町内で購入して、
危険な走行を、数限りなく繰り返して、クラッシュすれば
全員で直し、廃車になれば、また新しく購入する……。


そのような行為を、岸和田中の町内が、
ズッ〜っと行い続けてきたわけです。
なんて、おバカな地域なんでしょ。

でも、こういうおバカな部分に、どうしても惹きつけられて
しまうのは、人間という生き物の習性なのかもしれません。

 

Flash Playerが入っていないブラウザー&Android端末の場合は動画を見ることができませんので、
上のYoutubeボタンを クリックして見ていただけますよう、お願い致します。

このようなHPを作り始めてから、いろんなひとから連絡をもらいます。
ドリコン関連のひとたちからは、「ドリコンGPは、僕らの甲子園でした!」
という声が多いですし、ドリフトを始めたことによってその後の人生が、
大きく変わったという声も多いです。

ドラッグ関連からは、「夜もろくろく寝ないで、必死でクルマを
作って、たまらんくらいに辛かったけど、あの頃の自分が、
これまでで一番輝いていた」という声が……。

そうなんですよね。クルマなんて、単なる機械ですよ。
移動するため、荷物を積むための機械にすぎないんですが、


そこに『速さ!』という価値観を持ち込むと、
機械がマシンに変貌し、のめり込む人間が発生する。

ま、今回は、ドリコンGPのもうひとつのルーツを
紹介させていただきました。うちの町の祭りは岸和田山手の
10月祭礼です。浜の祭りは9月祭礼。あちらのほうが、有名で、
観客も多いのですが、カンカン場と呼ばれるやりまわし
(ハイスピードコーナリングですね)の名所には、
有料の観覧席が設けられ、何万人というギャラリーが、
だんじりの一挙手一投足に興奮しております。

中山サーキットや、筑波サーキットの
満員ギャラリーと、まったく同じですね(笑)

 

 

だんじりに関しては、YOUTUBEで「だんじり」で検索すれば、
数え切れないほどのアップロードがあります。
昔のものから昨年度のもの、事故集や疾走集。
ま、おヒマがあればどぞ。

見れば見るほど、ドリコンGPとの共通性が発見できます(笑)

 



■ 今だから話せる秘話(笑) ■

↑できるだけ、いろんな方に見ていただきたいので、
よろしかったら、お願いします。


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